およそ現実には起こり得ないことを、平然と、ごく当たり前の事実のように言ったダンサーがいた。「フェスティバル/トーキョー09秋」記者発表の壇上にいた、黒田育世だ。
「踊って30分ぐらい経つと“もう立てない(踊れない)”と思うようになる。それでも踊り続けると“立てない”という言葉を思い浮かべることすらしなくなり、次の一瞬を乗りこえるためだけに体が勝手に舞い始める。運動の連続と次の一瞬という時間の境目が徐々に消えていき、体が人のあいだに、中に溶けだすようになる」
その感覚を「ダンスになる」とも言っていた。ダンスを“踊る”のでも、ダンスで“表す”のでもない。ダンスに“なる”のだ。飴屋法水が演出を手掛けたソロダンス公演『ソコバケツノソコ』で筆者は、まさに黒田の体が空間に溶けだす感覚を実体験した(と信じている)。今に壊れてしまうのではないかと思うほど消耗した状態で、黒田はなおも激しく踊り続ける。それは心を開いて、広く手を伸ばし、必死に世界を抱きしめようとしているかのよう。やがて劇場空間は踊る黒田と一体になって、ぐにゃりと弾力を持って歪み、観客を包み込んだ。私は背筋から後頭部にかけて奇妙な鈍いしびれを感じ、涙した。それはただの思い込みだと簡単には否定できない、非常に生々しい肌感覚だった。ダンスに“なった”のは踊っていた黒田だけではない。その場にいた観客を含む空間全てがダンス“だった”のだ。
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全てをさらけ出して、限界を超えても踊り続ける、研ぎ澄まされた身体能力。誰の目も惹きつける美貌。傑出した演出力。黒田は天が二物も三物も与えたと言わざるを得ない稀有な逸材だ。だが本人に会ってみると、神がかりな雰囲気など一切まとわない、いたって朗らかで自然体の女性だった。
「6歳から20年間、老舗のバレエ団に在籍していました。厳しい面もあったけど、私は仕方なしに大目に見てもらえてたような生徒で(笑)。発表会でもアドリブをしちゃったり、おとなしくは踊っていなかったんです。」
コンテンポラリー・ダンスとの出会いは、ロンドンに1年間留学していた大学3年の時。初めてなのに“すでに知っている”感覚があり、バレエよりも馴染み深かったという。

「ダンスでも大学の単位が取れたので、座学はほとんど受講せずに踊っていました。実はバックパッカーになって放浪もしてたんですが(笑)。
放浪して、とにかく色んなものを観て回りました。ダンスはもちろん、お芝居やコンサート、美術館も。取得単位はぎりっぎりでしたね」
長年熱中していたクラシック・バレエとは異なる文化・芸術をたっぷり吸収して帰国。バレエと並行してさまざまなダンスのワークショップに参加した後、コンテンポラリー・ダンス・カンパニー“伊藤キム+輝く未来”のメンバーになる。振付家・黒田育世の鮮烈なデビュー作『SIDE-B』が生まれるきっかけは、ある時、突然やってきた。
「キムさんがいない3カ月ほどのお休みの時期に、突然(頭の中に)バーッと絵が降って来たんです。真っ黒な衣裳の6人の女性がいる絵で、細部まであまりにも鮮明で。これは形にしないともったいないと思って、すぐに知り合いのダンサーを集めて、イメージそのままに実現しました」
『SIDE-B』は初振付作品でありながら数々の賞を受賞した。同じメンバーで作った2作目の『SHOKU』も好評で、国内外の多地域ツアーが次々と決まり、ツアー先からグループ名を尋ねられたのを機にBATIKを結成することに。
「楽しいし仲良しだし、このメンバーで続けたいなと思ったので、じゃあ一応カンパニーってことで…となって。カンパニーの名前をつける時は、身の周りの大切な人たちのことを思い浮かべました。そういえば親友の妹がBATIK(インドネシアのろうけつ染め)をやりたいって言ってたな、いい教室は見つかったかしら…あら、バティックってとてもいい名前…と。実は色々となし崩し的なんですよ(笑)」
飾らない晴れ晴れとした笑顔がまぶしい。隠すことなど何もないと言わんばかりに無邪気で、恐れを知らないやんちゃな子供のようだ。だがその微笑みは、起こること全てに身をゆだねる覚悟を決めた、成熟した大人ならではの心の静寂も湛えていた。
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黒田は振付家、ダンサーとしてだけではなく、演出家としても抜きん出た才能を見せている。朝日舞台芸術賞など多くの賞を受賞した『花は流れて時は固まる』は、真っ青な空間で白い衣裳の女性ダンサーが命を貪るように踊り、剥き出しの生(=性)を残酷なまでに暴き出す大作だった。花びらの舞い散る水路や高くそびえる飛び降り台が、この上なく美しく、恐ろしい。舞台装置のミニチュアを頭に被った人物を登場させて、公演そのものを批評する視点を持ち込むなど、演劇的演出の意味でも鋭い示唆に富んでいた。振付、美術、照明、音響といった多くの要素を、どういうバランスで扱い、舵を取っているのだろうか。

「舞台のクリエーションは振付だけが特別なのではなく、それぞれが同じバランスなんだと思います。洋裁みたいに切り取った布と布とをミシンで縫ってくっ付けるのではなくて、編み物に近い気がするんですよね。振付、照明や音響、稽古期間などの全ての要素が1つひとつの細い繊維であり、それを微妙な力加減で編み込んで、色んな模様を作っていくような感覚です」
全ての素材が平等に出会い、混じわり合って、1つの舞台が編み上がっていく。創作の営み全体を見渡す広い視野と、1つひとつの細かい作業を見落とさない緻密さが、驚異的な完成度を支えているのだろう。
11月に発表する新作『あかりのともるかがみのくず』のテーマは“母”。母は肉体と切り離せない故郷であり、生きていることの根幹に常に直結している。誰にとっても身近で切実だからこそ、非常に難しい題材だと思う。母から生まれた子供であり、いつか母になるかもしれない黒田が想像し、舞台化する母とは何なのか。
「綿々とずっと続くもののひとつの大きなシンボルとしての“母”だったり、母の母の母の…とずーっと遡ってたどり着いたら“宇宙”だった、みたいな感じだったり。自分の母も祖母も、友達のお母さんも、会ったこともない先祖の、そのまた先祖の先祖のイメージも入ります。性別、年齢の差も関係なく。“お母さん”と言ったらすなわち、私が自分の中でずーっとイメージできる“全部”ってことかもしれない。“命のつながり全て”みたいなことだと思います」
振付には参加ダンサーのアイデアが反映されるという。
「今回はメンバーに宿題を出しています。『あなたにとって○○とは何ですか?』という問いに対して、みんなが歌や踊り、テキストで提出してくれて、それらを1個の有機体にしていきます。みんなが持ち寄ってくれた小さなシークエンスを、編み物のように編み込んでいくんです。今はまだ映画『風の谷のナウシカ』の巨神兵みたいに体がドロドロな状態なんですけど(笑)、ちょっとずつ二足歩行ができてくると思います」
哲学的ともいえるヴィジョンに聞き入っていると、急に人気アニメの話に飛んだ。物事の深淵、世界の高みを洞察する力と、人懐っこい自由奔放さがシームレスに共存している。この魅力の秘密は、彼女の日常生活にあった。
黒田育世(くろだ•いくよ)
BATIK主宰、振付家、ダンサー。6歳よりクラシックバレエをはじめる。97年渡英、コンテンポラリーダンスを学ぶ。02年、「BATIK」を設立。代表作は『SIDE-B』(02年)、『花は流れて時は固まる』(04年)など。近年はBATIKでの活動の他、飴屋法水、笠井叡、野田秀樹などさまざまなアーティストとのクリエーションも話題に。今年公開された映画『告白』(中島哲也監督)では女優として初めてスクリーンに登場し、強烈なインパクトを与えた。

Information

(C) Yohta Kataoka
BATIK トライアル vol.10
『ペンダントイヴ-studio version-』
■日程:12/10(金)〜12(日)
■会場:森下スタジオ・Cスタジオ
■構成・演出・振付:黒田育世
■出演:BATIK
■主催:BATIK http://batik.jp
■制作:ハイウッド
フェスティバル/トーキョー10
『あかりのともるかがみのくず』
■日程:11/9(火)〜15(月)
※11/12(金)休演日
■会場:にしすがも創造舎
■構成・演出・振付:黒田育世
■出演:大江麻美子/大迫英明/梶本はるか/黒田育世ほか
■主催・製作:フェスティバル/トーキョー






















