梅酒の女ごころ
三十路、という言葉にドキリとしていた時期がある。私が初めて長編戯曲を書き上げたのは二十六のはじめ。演劇ユニットを立ち上げたものの、年に一度の公演をなんとかやっては試行錯誤の連続だった。学生時代の友人達が就職し、結婚し、出産し、離婚し再婚するのを横目に、あっという間に四年が過ぎた。二十代の終了。
三十路前。あの年、演劇についても、女としても、強く静かな焦燥感があった。
私は何かを吹っ切りたくて、節目にひとつ、特別な一品を作ろうと思い立った。
酒を嗜まない女が、生まれて初めて梅酒を漬けることにしたのである。
蒸し暑い日だった。梅の実は艶やかに青く、氷砂糖とウオッカ、隠し味にブランデーと蜂蜜を使い、一日かけて祈るように仕込んだ果実酒は、美しかった。
私は清々しい気持ちで、真新しい赤い蓋に黒いペンで日付を記した。くっきりと。
ふっと、なにかの覚悟が決まり、瓶の中の、十年後の味を期待した。
小学生の頃、法事の集まりで父の生家にゆくと、キッチンの奥にいくつもの梅酒の瓶があった。まだ淡い金色のものから、濃い琥珀色になったものまで、日付の書かれた瓶の蓋もみなそれぞれに色褪せて、ずっしりと年月を越えて並んでいた。じっと瓶を眺めていると、従姉のお姉さんが小さな匙ですくってこっそり味見させてくれた。琥珀色の、トロリとした味わいが夢見心地に体に沁みて、梅酒一匙の年月の分だけ、少し大人になれたような気がした。
七月は私の生まれ月である。梅雨が終わりを告げ夏の始まるこの季節は、風の匂いひとつとっても、いつもどこか懐かしい。何度重ねてみても、どれもが、一生に一度きりの夏だ。あの日漬けた梅酒と一緒に、またひとつ、年をとる。今年よりも来年、来年よりも再来年、そんなふうに年月を経て熟成していくことを自分の味わいに出来たなら、と今では願う。
眠れぬ夜は、硝子のお猪口にほんの一口、梅酒を味わう。この味がお気に召した方に嫁いだら、お猪口を二つ並べるのがささやかな夢でもある。このあたりは、どんなに熟成が進んでみても少女の気持ちが抜けきらぬようだ。
だがそれもまた、女ごころなのである。

吉田小夏(よしだ こなつ)
劇作家、演出家。劇団「青☆組」主宰。人間の営みへの温かい眼差しから紡がれる作品群で各賞を受賞。瑞々しく繊細な対話劇を身上に幅広い年代の支持を集め、小劇場と台所を中心に活動中。
ブログ『青色日記』
《公演情報》
MITAKA“Next”Selection 12th
参加公演
青☆組『パール食堂のマリア』
■作・演出:吉田小夏
■日程:7/29(金)〜8/7(日)
■劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
■公式サイト:http://www.aogumi.org/

イラスト:本島 亨










